そんな…友達じゃ…なかったなんて…川口支隊の攻撃失敗(第2次ソロモン海戦参照)により、大本営もようやくガ島の状況を把握した。そこで、第二師団を投入し総攻撃をかけることとなった。この兵員と重火器を輸送にあたり、駆逐艦による高速輸送では輸送量に限界があるため、高速輸送船6隻と水上機母艦「日進」「千歳」による輸送となったが、そのためには敵航空機を制圧する必要があった。そこで、山本五十六連合艦隊司令長官の発案で艦砲によるガ島飛行場砲撃を夜間に実施することとなった。
 この艦砲射撃を任務とした、司令官五藤存知少将率いる第六戦隊の重巡「青葉」「古鷹」「衣笠」が10月10日にショートランドを出撃した。翌11日、輸送任務中の水上機母艦2隻が米偵察機に発見された。これを受けてノーマン・スコット少将率いる巡洋艦4隻駆逐艦5隻が動き始めた。2143、サボ島沖で「青葉」は左舷に艦影を確認する。艦橋ではこれを「日進」以下味方輸送隊と判断、味方識別のために発光信号を送った。そして距離7000まで接近したとき、見張員が叫ぶ「敵!」。艦影の正体はスコットの艦隊だった。「青葉」は総員を戦闘配置につけるとともになおも発光信号を送り続ける。一方、スコットも同士討ちを恐れて攻撃を躊躇していた。ところが、米駆逐艦「ダンカン」のレーダーは第六戦隊を捉えていた。「ダンカン」は独断で砲撃を開始、砲弾が「青葉」艦橋を直撃した。このため、艦橋にいた第六戦隊司令部の職員の多くが死傷、五藤は両足を切断する重傷を負い人事不省となり、離脱途中に戦死した。第六戦隊は急遽反転して離脱、「青葉」「衣笠」はなんとか離脱したものの、「古鷹」と駆逐艦「吹雪」は集中砲火を浴び沈没した。これがサボ島沖夜戦である。なお、「サボ島沖夜戦」とは日本側の呼称であり、米側は「エスペランス沖夜戦」と呼んでいる。米側が「サボ島沖夜戦」と呼ぶのは第1次ソロモン海戦のことであり、注意が必要である。



ということで餌食になってるのは帝国海軍の重巡青葉たんです〜
友達だとばっかり思ってたら実は札つきレイプ魔グループで、頭を殴られてあっという間にぶち込まれてしまいました(爆)
この後入院して再起しますがフィリピンでまたいきなりぶち込まれて、あとは終戦まで足腰立たず…

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