田町六兵衛が紀州芹沢村にてこの珍事に関わったのは、夏のある日のことであった。



 六兵衛は勢洲某藩の藩士の家に生まれであるが、妾腹の子だった。

 武士の家の嫡子以外、それも妾腹となれば悲惨なものである。

 六兵衛は将来家を継ぐことも、良い養子縁組・婿の行き先もないので、いっそそういったものを全て諦め、己の剣術で持って生きていこうと家を出た。

 幼い頃から修行してきた剣術には自信もあったし、生来仕官して難しい顔をしているのは性に合わなかったのである。

 この日、六兵衛は某流の名手がいると伝え聞いた藩の城下町を目指して早足に進んでいた。

 何でもその男、近年までほとんど山にこもって、凄絶としか言えぬような凄まじい修行を重ねていたというのである。

 それほどの名人ならば、是非にも教授を願いたいと考え、六兵衛の心は早っていた。

 川沿いに進んでいくうちに、六兵衛はハッとなって足を止めた。

 草むらに人が倒れているのが見えたのである。


 「や……」


 六兵衛、急いで走りよってみてまた驚いた。

 どうやら近くに住む農夫らしい。

 歳は若そうなのだがその男、まるで病人のようにげっそりとやせ細り、骨と皮ばかりという有様なのである。

 その上に、下帯をつけず、萎えた亀頭を放り出しているのだ。

 一体どのような状況でこうなったのか、判断に苦しんだ。


 「おい、これ、しっかりせい」


 六兵衛は農夫の顔を覗きこみつつ、声をかけたが、農夫はぜいぜいと苦しげに息を吐くばかりである。


 「おい、何故こんなところで倒れているのだ。お前は、病人か?」


 問いかけてみるが、農夫は応えない。


 「これ、しっかりせぬか!」


 六兵衛は叱咤しつつ農夫を抱き起こし、


 「お前はこの近くのものか?」


 農夫は、ようやく微かにうなずいた。


 「そうか。よし、では俺が運んでやろう。よいか、気をしっかりもてよ?」


 六兵衛は厳しく言い聞かせながら農夫を抱えた。


 村は川からほど近い場所にあった。

 六兵衛が農夫を抱えてやってくると、村の人間はこれを見つけるや、


 「や、あれは…伊八ではねえか?」


 「あの馬鹿め……!」


 「またやられたのか?!」


 などと騒ぎ始める。


 (はて…?)


 六兵衛は内心首をひねった。


 (またやられた? これはどうも妙な言いかただ……?)


 それに村人を顔を見てみると、一種の侮蔑とも同情ともつかない視線で六兵衛の背の農夫を見ているのだ。

 おかしなことだ思いながらも、


 「この男、近くの川で倒れていたのだが――家はどこだね?」


 そう六兵衛が話しかけると、すぐに戸板を持った男たちが飛んできた。

 六兵衛は戸板に乗せると、近くにいた中年の農夫に、


 「さっきまたやられたとかおかしな言葉が聞こえたようだが…このへんには賊の類でも出るのかね?」


 こう訊ねると、


 「へえ……まあ」


 中年の農夫は歯切れの悪い返事をよこした。


 「お侍様はどこのお人で?」


 「俺か? 見ての通りの浪人で、これから城下のほうへと行こうと思っている」


 「……へえ」


 農夫の目つきが妙であった。

 何か六兵衛を値踏みでもするような目つきである。

 しかし、すぐに諦めたような顔になり、


 「城下のほうへ行かれるなら、川のそばへは行かないほうがよろしゅうございますよ」


 「そりゃまた、何故だ?」


 「出るんですよ」


 「出る? 幽霊でもでるのかね」


 「いえ、幽霊じゃあなくて、河童ですよ」


 「河童? 河童というと、あの水の中にいてキュウリだのかじるというあの河童か?」


 「そうなんで」


 「このあたりはそんなものが出るのか。そりゃあ面白い」


 「出るだけなら面白いですみますよ」


 「ははあ。すると、その河童悪事を働くのだな?」 


 「へい」


 「子供を川にでも引っ張りこむのか?」


 「そんなんじゃあないんです」


 「すると、女にけしからぬ真似でもするのか? 聞くところによると河童は淫蕩なものらしいが…」


 「いえ、逆なんで」


 「逆とは?」


 「つまり男をたぶらかすんで」


 これを聞いた六兵衛は思わず、吹き出した。


 「は、は、は。そ、そりゃまた風流な…」


 「とんでもありませんよ!」


 農夫は目を怒らせて叫んだ。 


 「単にたぶらかすだけなら、まだ良いですよ? ですが、それが普通のやりようじゃあないんです」


 「へへえ……」


 「うっかりそいつの色仕掛けにひっかかると、精も根も引きぬかれてしまうんですよ……」


 「もしや、あの若い男は……」


 「へえ…。河童にやられたんです」


 「これは、穏やかではないな」


 ここにきて六兵衛は腕組みをして眉を寄せた。


 「元気の良い若いものが、一回であんな風になってしまうのですからね」


 「今までで何人ぐらいやられているのだね?」


 「十四、五人ですか……近頃は旅のお人もやられているようですねえ……」 


 「しかし、抱けば結果はわかっているのだから、それなりに警戒もできるだろう?」


 「そうなのですけどねえ、何しろあの河童、女房持ちどころかも、まだ女も知らないような子供までたぶらかすんですから……」


 「子供もか……」


 子供や働き盛りの人間をあのように腑抜けにされては、村の死活問題にも関わってくる。


 「そんな河童ならみんなで退治しようとは考えないのかな?」


 「そういうことも何度か試しましたが、何しろあいつめ、力は強いし、すばしこいし、とても手におえないんですよ……」


 河童はその小柄な体躯に似合わず、恐ろしい腕力を持つとものの本にもある。


 「ふうん……」


 六兵衛はしばらく何事か考えていたが、


 「時にこの村で酒は手にはいらないかな?」


 「酒ですか?」


 きょとんとする農夫に、


 「左様。できれば、味噌とよく熟れたキュウリをいくらかほしいのだがね」


 六兵衛はニコリと笑ってみせた。



 酒とキュウリ、それに味噌を手に入れた六兵衛はそれらを手に、川のほうへと赴いた。

 そして、流れる川の近くに腰を下ろし、味噌をつけたキュウリを肴に酒をチビチビとやり始める。

 しばらくしてから、何やら生臭い匂いが漂ってきた。


 (出てきたな……)


 内心ニヤリとしながらも、六兵衛は何気ない顔で酒を飲んでいる。

 近くで何かの動く気配がした。


 「お侍さん♪」


 艶っぽい声が響く。

 いつの間にか、六兵衛の近くに何か大きながものがうずくまっていた。


 「何だね?」


 六兵衛は動じずに穏やかな声音で言う。


 「キュウリ、あたいにも一本ちょうだいな」


 声だけ消けばどこぞの娼婦のような印象を受けるが、そこにいた緑色の皮膚をした人外のものだ。


 雌の河童である。


 (へえ……?)


 そいつを一目見た瞬間、六兵衛は思わず感心した。

 河童と言うから、背の低い気味の悪いものを考えていたが、その想像とはまるで違っている。

 確か背丈は低いが、子供というほどもない。

 皮膚の色、瞳の色は人のものではないが、胸や尻にはしっかりと肉がついており、思わず生唾を呑みたくなるような代物である。


 (なるほど…危ないわかっていてもフラフラとなってしまうわけだ)


 六兵衛は苦笑を噛み殺しながら、


 「やってもいいが、こっちもつきあってくれるかね?」


 と、一升徳利を見せながら、


 「一人でやっていて、相手が欲しいと思っていたところだ」


 「いーのかい?」


 河童は恐れ気もなく近づいてくる。


 「よいとも。さ、おあがり。味噌をつけて食べるとうまいぞ」


 キュウリを一本差し出した。


 「ありがとう。でも、あたいらはキュウリはそのまま食べるんだ」


 河童は言いながらさも美味そうにキュウリをかじる。

 その動作はまるで頑是無い幼児のようであり、これが本当に男をたぶらかす悪河童か? と、六兵衛疑いたくなった。

 しかし、やはり魔物か、油断がならない。

 河童は酒やキュウリがあるうちにはおとなしく飲んだり食ったりしていたが、それがなくなるとやたらにその生臭い身体を六兵衛に押しつけてくる。

 

六兵衛がのらりくらりとそれをかわしているとついには、


 「お侍さん、剣術を使うんだろう? それじゃあ、お前様の股座の刀であたいと勝負しないかい?」


 などと呂律の曖昧な口調で言いながら股を広げてみせた。


 そこからはすでに雫が伝い、地面を濡らしていた。


 どうやらこの河童、酒にはあまり強くないようである。


 (いくらなんでも、こう開けっぴろげではかえって気が失せるが……こちらとしては助かったな)


 六兵衛は苦笑いつつ、


 「それはいいが、その格好ではできん」


 「じゃあ、どうすればいいんだよう?」


 河童が尋ねると、


 「ちょっと、こっちへ……」


 言いつつ河童の腕をつかみ、柔の要領で河童の足元を崩した。


 「ありゃりゃ……?」


 河童がフラつくところを、


 「えい!!」


 六兵衛、河童を腰から一気に担ぎ上げ、そのまま力まかせに地面に叩きつける。

 河童のほうは油断しきっていたからたまったものではない。


 「ぎゃ!」


 悲鳴を上げてのびてしまった。

 六兵衛は隠し持っていた縄で河童を縛り上げ、村のほうへとひっかついでいった。

 これを見た村人の驚きというのは大変なもので、


 「たいしたものだ…」


 「さすがはお侍だよ…」


 尊敬の眼差しで六兵衛を見ていた。


 「すまないが、この村のお庄屋を呼んできてはくれないか」


 六兵衛は近くにいた村人に声をかけた。

 引き受けましたと村人が飛んで行った後、六兵衛は河童を目を覚ます前に手ごろな木に河童をぐるぐる巻きにくくりつける。

 河童は村の庄屋が大あわてで駆けつけてくる頃、ようやく目を覚ましたが、文字通り陸に上がった河童である上に、厳重に縛り上げられてどうしようもない。


 「このバケモンめ!」 


 「さんざん悪さをしやがって!」


 「叩き殺せ!」


 村の人間が息巻く中、河童はもう憐れなほどに震えあがり、


 「許しておくれよう、許しておくれよう」


 泣きながら懇願する。


 「お庄屋、この悪河童めをこのまま殺すおつもりか?」


 六兵衛が問うと、庄屋は難しい顔で、


 「何しろさんざん村の連中が足腰を立たないようにされましたからなあ。憐れなようだが、今後のために息の根を止めたほうが……」


 これを聞くと河童は真っ青になってしまう。

 この様子に六兵衛は少々慈悲心を刺激された。


 「まあ、待ちなさい。確かにこいつは悪いことをしたが、誰かを殺したりしたわけではないだろう? それに化物とはいえ、こうして命ごいをしている者を大勢となぶり殺しにするとはいうのはいただけない」


 「それでは、許してやれとおっしゃるので?」


 「ただ許せというわけにいくまい。おいこら、河童」


 「ふぁい」


 河童は涙でグシャグシャになった顔を六兵衛に向けた。


 「お前さんの悪さのせいでこの村の人たちは大変な迷惑をこうむったのだぞ? これにどう始末をつける、どう詫びるつもりだ」


 「……うえええん」


 「泣いてばかりではいかん。命の瀬戸際だ、気をしっかりもって返答しろ」


 六兵衛が励ますように言うと、


 「一族秘伝の…精力増強の薬があります。それを飲めば……」


 「足腰立たなくなった人も元に戻るのだな?」


 「ふぁい…」


 「よろしい」


 六兵衛はうなずき、紙と矢立をもってこさせ、河童の口から伝えられた薬の製法を書き取り、


 「この薬が、確かに効能あるかどうか試してみてはどうです」


 庄屋に言った。


 「大丈夫でしょうか? こんな化物の……」


 「もしもこれが嘘偽りなら、仕方もない。打ち殺すなりなんなりされるがよい。いや、こうして勧める拙者の責任でもあるから、万が一服用した人間が死ぬようなことがあれば拙者も腹を切ろう」


 きっぱりと六兵衛は言った。

 その様子を、河童は潤んだ瞳で見つめていた。


 「それが終わるまでは、この河童の命は拙者が預かろう」


 六兵衛の態度に村人たちもそれならば、と納得した。



 さっそくに製法通りに薬を作って腑抜けになったものに飲ませてみると、河童の言う通りみんな二、三日もするとすっかり元気になった。

 かくして、河童は命を助けられることとなったが、さすがにあんな悪さをした後であるし、


 「この村の近くから出ていってもらおう」


 と、村の協議で決まった。

 そこで六兵衛の案で、河童は二度とこの村には近づかない――との証文を書いて、ようやく放逐された。

 その証文は薬の製法と共に庄屋のもとに預けられた。

 ことが片付いた後、六兵衛は村人に見送られ、芹沢村を去って行った。

 城下にいるという剣豪をもとを目指して……。



 放逐されたメス河童が、密かに六兵衛の後をついていったことは誰も知らない。



でんべえさんから河童こちゃんにテキストをいただきました!
可愛らしい河童娘にちょっとどきどきです(笑)
でんべえさん、ありがとうございました〜!

ぎゃらり〜へ